メールを送ってきた元子分に電話をすると、数日休みが取れそうだから
久しぶりにスペインのマヌケ面拝みに行ってやるよ。可愛げのない台詞だが
ロマーノならばそれすら可愛らしく思えるのだから困ったものである。
悪友に言わせれば親馬鹿らしいが、スペイン的には惚れた弱みに近い気がする。
幼い頃から面倒を見ていた子供にどういうわけかスペインはいつの頃からか
はっきりとは分からないが恋をしていた。
いつの間にか芽生えたそれをスペインは自分はあの子の『親分』だから
と、言い聞かせずっと表に出さないようにしていた。
言えばきっと今までのように元とはいえ『親分子分』という関係ではきっといられなくなる。
ロマーノは女の子は好きだが、男は好きではない。
自分を育てたも同然の男がずっと前から想いを寄せていると知ればきっと嫌悪して
二度と自分に近づこうとはしないだろう。
スペインはそれだけはどうしても嫌だった。
ロマーノに嫌われるくらいならずっと言わないでいよう。
スペインは想いを胸に秘めたまま今日までロマーノと変わらぬ関係を続けてきた。
気の遠くなるような長い、永い間、覆い隠すように仕舞われ続けたそれが
今回の事の発端になることを、スペインはまだ知る由もなかった。
珍しく事前に来訪を告げたロマーノのために
前日スペインはロマーノのために振舞う料理のために朝から買出しに出かけ、
午後からは家中の掃除を始めた。
多くのお手伝いさんやメイドがいた時代は既に終わりを告げ、
現在は一人で住むようになった家の家事は当然のように
スペイン一人がしなければならない。普段使う部屋はそこそこ掃除しているのだが、
一人になるとどうしても面倒で放置していたり乱雑になったりしている普段は使わない
部屋がかなりあった。
昔は散々ロマーノにはきちんと掃除をしろ、だの口煩く偉そうなことを言っていたくせに
と苦笑が漏れる。
キッチン、リビング、寝室を軽く掃除をした後、それらの部屋にも手をつけることにした。
全てはロマーノを気持ちよく迎え入れるため。
彼に心地よい場所だと、また来たいと思ってもらえるならば
とスペインはそのための労力を惜しまなかった。
「ふぅ…あとはここだけやなぁ」
やれやれと片手でトントンと肩を叩きながら一つの部屋の扉の前に立った。
奥まった場所にあるその部屋は倉庫として使っていて昔の広い屋敷から持ってきたものや
使わなくなった家具や細々としたものが整理されずに押し込んであった。
ついでだからとここも整理してしまおうかと思ったのだが、
ドアを開けて中を確認しやはりというか埃の溜まった酷い有様に
やっぱりここはいいかと回れ右したくなるほどだった。
いつかは掃除して整理しようと思っていたのをまた今度、またいつかと後回しにした結果、
今に至るのでこれはもう今日やってしまおう。スペインは重い腰を上げた。
窓を開けて埃を払い、壊れたものや使わないものは纏めて外に出し、
残りは床を掃除した後整頓して片付けていった。
その時、ふと古い布に包まれ、ロープで縛ってある大き目の絵画のような自身の背丈ほども
ある長さと 厚みのある物体に目を留め、首を傾げた。
「なんやろ、これ?」
記憶を探っても覚えのないそれに中身を確認しようとロープに手をかけた。
ちりと頭の隅が痛んだ気がしたが気にしなかった。
それはかなり頑丈に縛ってあり、まるで何かを封じ込めているかのようだった。
何とかロープを解き、覆われていた布を取り払うと中から出てきたのは
金細工の綺麗な姿見だった。
「所どころ錆たり汚れがあるけど、えぇ鏡やなぁ…」
壁に立てかけしげしげと眺めた後、そういえば
この家には姿見がないとロマーノが文句を言っていたことを思い出した。
風呂場と洗面所に鏡はあるが、全身を映す鏡がないのだ。
身嗜みはきちんとするお洒落な彼は全身チェックしたいから買えとしつこく言ってきた。
しかしスペインとしてはそこまで必要性を感じず、結局購入されることはなかった。
「…よし、これは部屋に飾ろや!」
きっとこれならばロマーノも文句を言わないだろう。
埃を払い錆や黒い汚れを落とした姿見をスペインは寝室の壁に取り付けた。
倉庫の他のものの整理が終わる頃には既に夕方になっていた。
埃まみれになった体を先に風呂に入って洗い落とし、一人分の夕食を簡単に拵え
食べた後、寝支度を整えて寝室に向かった。
大掃除をしたおかげで程よく疲れた体はきっとベッドに入れば直ぐに眠気が訪れるだろう。
欠伸をしながらドアを開けて中に入り、パタリと閉じると姿見が目に入った。
近づくとまた頭の隅がちりと痛んだ。
(なんやろ…?)
痛みに首を傾げながらそっとその鏡を覗き込んだ。
自身が映るだけのそれにふと笑みを浮かべた。
明日になればロマーノに会える。
何をしようか、とかどこに行こうかと考えるだけで楽しかった。
「楽しみやんなぁ」
にへらとだらしのない顔をしていると、鏡の中の自分が歪な笑みを浮かべた。
『だらしない顔すんなや』
「――――――!?」
驚き反射的にその鏡から離れ、距離を取ると鏡の中の自分は面白そうに笑った。
『ハッ何?自分にビックリしたんか?』
「なっ…なんやこれ…?!何者や、お前!」
『何って自分の顔も見忘れたんか?』
「…俺…相当疲れとるんかなぁ…?」
(なんやこれ。夢?にしては変やし…)
ずきずきと痛み出した頭に、早く寝ようと背を向けた。
『ケータイ、鳴ってんで』
「え?あ、ほんまや!」
おおきにーなんて言いながらサイドボードに無造作に置かれた携帯を見ると
ロマーノからのメールが着ていた。
明日は昼過ぎにこちらに来るというメールだった。
折り返し返信をしようとして視線を感じて再び鏡を見た。
『いつまでくだらん親分子分ごっこするつもりや?』
「くだらんことないやろ。かわえぇ子分構って何が悪いん?」
つーか、お前は一体なんやねん。最近の姿見は喋る機能でもついたのか。
鏡よ、鏡。世界で一番美しいのはだーれ?ってか?白雪姫かっちゅーねん!
ぽちぽちと携帯を操作して返信をすると充電器にセットする。
その背中に鏡の中のスペインは声をかけた。
『かわえぇ子分…な。そのかわえぇ子分の前で“親分”で居られへんようになるのが怖いか?』
「…なんやの、さっきから。お前には関係ないやろが」
睨みつけてくるその瞳に、鏡の中のスペインはより一層愉しそうに笑った。
『ほんまは、そのかわえぇ子分をどうにかしたいと思っとるくせに』
細い手首をベッドに縫い付けて普段はつんとした生意気な口ばかり聞く
唇にキスをして、滑らかな肌に思う存分触れたいくせに。
怯えた目で見上げてくるだろうロマーノの奥まった窪まりに指を突きたて
嫌がって抵抗するのを押さえ込んで自身のものを突き込み淫らに乱れ喘ぐ姿を見たいと
思っているくせに。
『親分ヅラしておきながら、ほんまはその大事な子分を貪りつくしたいくせに…――――』
「やめろっ!…俺はそんなん…!」
『嘘やろ。あほやなぁ…俺はお前やで?お前のことならよぉ分かっとる。お前以上にな』
くつくつとさも愉快そうに笑うその顔にかっと頭に血が上ってその鏡の中の自分に
拳を振り上げ、叩き付けた。瞬間、ぐにゃりと鏡が波打ち、
ずぷずぷと手が鏡の中へと飲み込まれていった。
慌てて引き抜こうとするが物凄い力で引っ張り込まれて次第に体までもその鏡に飲み込まれて
しまった。
ぱっと目を開けると広がる真っ暗な空間に、ぽかりと浮かぶ鏡があった。
「なんやこれ…どうなっとるんや…?!」
夢にしては嫌にリアルで、変な夢である。
早く覚めてくれないかと願っていると鏡の中にあのスペインが映りこんだ。
しかし鏡の中に違和感を覚えた。鏡に映る自室にあのスペインが立っていた。
『お前の代わりに俺が今からこっちの“スペイン”になったる。
お前の大事な子分も俺が可愛がったるから安心して休んどけや』
「はぁ!?なんやそれ!どういう意味や!?」
『まぁ…どのみち、お前はそこからもう出られへんけどな!』
くつくつと笑う鏡の中のスペインの瞳は血のように紅く煌いた。
スペインは鏡に拳を叩き付けたがビクともしなかった。
苦々しく唇を噛み、そして自分が愛してやまない大切な元子分の名前を呟いた。
「――――――ロマーノ…!」
頼むから、あの子を傷つけないでくれ。
本能を剥き出しにした俺が暴走して大事な子を傷つけるなんてそんなのは。
「ロマーノ…っ!」
スペインの叫びは虚しく闇に溶けた。
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鏡の中の親分と『ケータイ、鳴ってんで』 「え?あ、ほんまや!」
おおきにーなんていうやり取りをする親分が好きですww